アクメアSS 「Sleeping Beauty」
アクメア SS
柔らかな夜風に乗って、楽隊の奏でる音楽が聞こえてくる。
賑やかで、平和な夕べ。久方ぶりの晩餐会を、誰も彼もが喜んでいた。
この街を、この世界を守ることが出来て、本当に良かった。
そんな幸福感に包まれながら、メーアはホミロンと、外壁の上を歩く。
「見回りは誰かに任せてさ、メーアも踊ればいいのに。せっかくの晩餐会なんだから」
「何言ってるの。私は、親衛隊隊長よ? 踊るのはお客様」
「でもさあ、メーアも、ドレス似合うと思うよ? ダンスすると、ひらひらして綺麗だよねえ」
「ふふっ、ありがと。でも、ダンスはいいの」
まあるい瞳が、上目遣いにメーアを見つめる。それからきゅっと形を歪め、からかうような眼差しを向けた。
「なによ、その目は」
「メーア、ほんとは踊れないんでしょ?」
図星をつかれても、笑ってやり過ごせるようなメーアではない。唇を曲げ、そんなことないわよとやり返すのが精いっぱいだ。
「じゃ踊ってみようよ!」
そう言われ、メーアはホミロンの触手を手に取ると、微かに聞こえてくる曲に合わせて、ぎこちなくステップを踏む。
「メーア、顔がおっかないよー!」
「ちょっと待って、今思い出してるんだから!」
わたわたと足を動かすが、それはステップには程遠く、ブーツの踵が石畳を蹴って、曲には合わない音を立てる。どうやるんだっけとつま先を見つめながら下唇を噛んでいると、背後によく知った気配を感じた。
「何してるんだ」
飛び上がって、おそるおそる振り返ると、そこには月の光を背に受けた幼馴染が立っていた。
「あ、アクト……」
「ホミロン、選手交代だ」
「え」
アクトはたちまち、メーアの右手を取り、腰に手を添え、ステップを踏み始めた。
「わっ」
微かに聞こえるワルツに合わせ突如始まったダンスだったが、辛抱強いアクトのリードで、メーアはようやくステップを思い出し、赤い衣の裾を持ち上げて、ダンスを楽しみ始めた。
「ふふっ。ディルク様に教わっていた頃みたいね。懐かしい」
「そうだな」
メーアの金色の髪が風になびき、月が二人を照らす。星が瞬き、景色がゆるやかに流れていく。
「絵本の中のお姫様って、こんな感じなのかな」
「憧れてたのか? お姫様に」
「まさか。お姫様ってガラじゃないわよ」
「確かにな」
くくっと喉の奥でアクトが笑い、メーアは頬を膨らませた。
「なによ。そこまで言いきらなくても……」
そこで、腰を強く引き寄せられ、抱きしめられる形になった。アクトの香り、体温を、ここまで近くで感じることは初めてのことだ。
「え、あ、アクト……?」
「いいか。よく聞いてくれ」
囁く声がこそばゆく恥ずかしくて、思わずぎゅっと体を縮め、アクトの肩に顔を埋めた。
「お前は、俺にとって、たった一人の……」
「……ふふっ……」
書類を広げた机にうつぶせたままメーアが笑い声をあげたので、起こそうと手を伸ばしていたアクトは、驚いてその横顔を覗き込んだ。
雪のように白い頬が薄い桃色に染まり、形の良い小さな唇が微笑んでいる。
あまりにも幸せそうな寝顔で、アクトは起こすのが躊躇われ、伸ばしていた手を引っ込めた。寝ぼけてインクなどを倒さないように、周りからインクの入った小瓶やペンを避けてやる。
(まったく…どんな夢をみているんだか)
今夜、エルサーゼ城では舞踏会が開かれる。
ここのところ、城中がその準備に明け暮れていたので、メーアも疲れが溜まっているのだろう。今日は夜中も警護にあたらねばならない。今は少し眠らせてやるとするか。そんなことを考えていると、メーアが小さく、アクト、と呼んだ。
しかし、メーアは相変わらず、ぐっすりと眠り込んでいる。
「気のせいか……」
伏せられた豊かな睫毛。細く凛々しい眉。色素の薄いブロンドの髪。透き通るような滑らかな肌。鼻筋の通った、整った顔立ち。
それはあまりにも、美しい寝顔だった。
昔読んだ絵本の中からそのまま現れたかのような眠れる美女を目の前にして、アクトはその美しさから、目を離すことができなかった。
とくとくと胸が高鳴り、その細い肩に手を添えて身をかがめ、吸い寄せられるように、そっとその頬に唇を寄せる。
「…ん……」
唇が触れるか触れないかのその時に、メーアが身じろぎをし、アクトははっとして、慌てて体を離す。鼓動がどっどっと速いリズムを刻み、一人赤面して、頬を掻いた。
(何をしているんだ、俺は……!)
踵を返して部屋から出ると、ちょうど副隊長のブラスが、ノックの構えでそこにいた。
「あ、アクト隊長。お疲れ様です」
「あ、ああ……」
「メーア隊長いらっしゃいますか? 確認したいことがあるのですが」
「ああ…今取り込んでいるようだから、代わりに俺が聞こう。なんだ?」
親衛隊長が居眠りをしているなどとはとても言えずに、アクトはブラスに先を促す。
「…顔が、赤いですよ。どうかされました?」
「どうもしない。おい、俺は用件を訊いているんだぞ」
ブラスの目が、眼鏡の奥で笑っている。またこいつは。アクトは軽い苛立ちを感じながらも、こいつのこういう所にはかなわない、と思うのだった。
その頃、メーアは夢の中で、アクトのあたたかい腕に包まれていた。ワルツは未だ遠く聞え、風はすっかり止んでいた。
アクトの指に導かれ顔を上げると、黄金色の瞳にぶつかった。深く優しい眼差しは、今日の月光とよく似ている。
やがて、アクトの唇が静かにおりてくる。
確かめるように、軽く触れる。それから、しっかりと重なった。
うつぶせたまま、メーアはまた、ふふふと笑う。
昼を告げる鐘が町中に鳴り響いても、メーアは幸福で甘美な夢を、そっと味わい続けていた――。
END
賑やかで、平和な夕べ。久方ぶりの晩餐会を、誰も彼もが喜んでいた。
この街を、この世界を守ることが出来て、本当に良かった。
そんな幸福感に包まれながら、メーアはホミロンと、外壁の上を歩く。
「見回りは誰かに任せてさ、メーアも踊ればいいのに。せっかくの晩餐会なんだから」
「何言ってるの。私は、親衛隊隊長よ? 踊るのはお客様」
「でもさあ、メーアも、ドレス似合うと思うよ? ダンスすると、ひらひらして綺麗だよねえ」
「ふふっ、ありがと。でも、ダンスはいいの」
まあるい瞳が、上目遣いにメーアを見つめる。それからきゅっと形を歪め、からかうような眼差しを向けた。
「なによ、その目は」
「メーア、ほんとは踊れないんでしょ?」
図星をつかれても、笑ってやり過ごせるようなメーアではない。唇を曲げ、そんなことないわよとやり返すのが精いっぱいだ。
「じゃ踊ってみようよ!」
そう言われ、メーアはホミロンの触手を手に取ると、微かに聞こえてくる曲に合わせて、ぎこちなくステップを踏む。
「メーア、顔がおっかないよー!」
「ちょっと待って、今思い出してるんだから!」
わたわたと足を動かすが、それはステップには程遠く、ブーツの踵が石畳を蹴って、曲には合わない音を立てる。どうやるんだっけとつま先を見つめながら下唇を噛んでいると、背後によく知った気配を感じた。
「何してるんだ」
飛び上がって、おそるおそる振り返ると、そこには月の光を背に受けた幼馴染が立っていた。
「あ、アクト……」
「ホミロン、選手交代だ」
「え」
アクトはたちまち、メーアの右手を取り、腰に手を添え、ステップを踏み始めた。
「わっ」
微かに聞こえるワルツに合わせ突如始まったダンスだったが、辛抱強いアクトのリードで、メーアはようやくステップを思い出し、赤い衣の裾を持ち上げて、ダンスを楽しみ始めた。
「ふふっ。ディルク様に教わっていた頃みたいね。懐かしい」
「そうだな」
メーアの金色の髪が風になびき、月が二人を照らす。星が瞬き、景色がゆるやかに流れていく。
「絵本の中のお姫様って、こんな感じなのかな」
「憧れてたのか? お姫様に」
「まさか。お姫様ってガラじゃないわよ」
「確かにな」
くくっと喉の奥でアクトが笑い、メーアは頬を膨らませた。
「なによ。そこまで言いきらなくても……」
そこで、腰を強く引き寄せられ、抱きしめられる形になった。アクトの香り、体温を、ここまで近くで感じることは初めてのことだ。
「え、あ、アクト……?」
「いいか。よく聞いてくれ」
囁く声がこそばゆく恥ずかしくて、思わずぎゅっと体を縮め、アクトの肩に顔を埋めた。
「お前は、俺にとって、たった一人の……」
「……ふふっ……」
書類を広げた机にうつぶせたままメーアが笑い声をあげたので、起こそうと手を伸ばしていたアクトは、驚いてその横顔を覗き込んだ。
雪のように白い頬が薄い桃色に染まり、形の良い小さな唇が微笑んでいる。
あまりにも幸せそうな寝顔で、アクトは起こすのが躊躇われ、伸ばしていた手を引っ込めた。寝ぼけてインクなどを倒さないように、周りからインクの入った小瓶やペンを避けてやる。
(まったく…どんな夢をみているんだか)
今夜、エルサーゼ城では舞踏会が開かれる。
ここのところ、城中がその準備に明け暮れていたので、メーアも疲れが溜まっているのだろう。今日は夜中も警護にあたらねばならない。今は少し眠らせてやるとするか。そんなことを考えていると、メーアが小さく、アクト、と呼んだ。
しかし、メーアは相変わらず、ぐっすりと眠り込んでいる。
「気のせいか……」
伏せられた豊かな睫毛。細く凛々しい眉。色素の薄いブロンドの髪。透き通るような滑らかな肌。鼻筋の通った、整った顔立ち。
それはあまりにも、美しい寝顔だった。
昔読んだ絵本の中からそのまま現れたかのような眠れる美女を目の前にして、アクトはその美しさから、目を離すことができなかった。
とくとくと胸が高鳴り、その細い肩に手を添えて身をかがめ、吸い寄せられるように、そっとその頬に唇を寄せる。
「…ん……」
唇が触れるか触れないかのその時に、メーアが身じろぎをし、アクトははっとして、慌てて体を離す。鼓動がどっどっと速いリズムを刻み、一人赤面して、頬を掻いた。
(何をしているんだ、俺は……!)
踵を返して部屋から出ると、ちょうど副隊長のブラスが、ノックの構えでそこにいた。
「あ、アクト隊長。お疲れ様です」
「あ、ああ……」
「メーア隊長いらっしゃいますか? 確認したいことがあるのですが」
「ああ…今取り込んでいるようだから、代わりに俺が聞こう。なんだ?」
親衛隊長が居眠りをしているなどとはとても言えずに、アクトはブラスに先を促す。
「…顔が、赤いですよ。どうかされました?」
「どうもしない。おい、俺は用件を訊いているんだぞ」
ブラスの目が、眼鏡の奥で笑っている。またこいつは。アクトは軽い苛立ちを感じながらも、こいつのこういう所にはかなわない、と思うのだった。
その頃、メーアは夢の中で、アクトのあたたかい腕に包まれていた。ワルツは未だ遠く聞え、風はすっかり止んでいた。
アクトの指に導かれ顔を上げると、黄金色の瞳にぶつかった。深く優しい眼差しは、今日の月光とよく似ている。
やがて、アクトの唇が静かにおりてくる。
確かめるように、軽く触れる。それから、しっかりと重なった。
うつぶせたまま、メーアはまた、ふふふと笑う。
昼を告げる鐘が町中に鳴り響いても、メーアは幸福で甘美な夢を、そっと味わい続けていた――。
END
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